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「良い人生だった」と最期に言える生き方。とある男性がん患者の話

良い人生ってなんだろう。それを知りたくて看護の道に進み、訪問看護師として働く落合実さん。80代男性Aさんを3カ月に渡って看護し、看取りをしたときのことを綴っていただきました。人生の最期に立ち会うときに見えてくること、感じることとは――。

「良い人生だった」と最期に言える生き方。とある男性がん患者の話

「どうしようもない人生だと思ってたけど、最近は、これはこれで良い人生だったんじゃないかって思えるようになったんだよね。そう思えたのも看護師さんたちのおかげだわ。ありがとう」

Aさんが亡くなる前日、訪問看護師である私に伝えてくれた言葉です。その翌日に傷が出血したからと緊急要請があり、駆け付けるとベッドの横に設置した簡易トイレから崩れるように倒れた状態のAさんがいました。呼吸は止まっていました。

「ちゃんと電話で僕たちを呼んだあとに逝くなんて、最期までAさんらしいですね」

テレビドラマのようにベッドの上で穏やかな表情で眠るような人生の最期ではありませんでした。でも、Aさんらしく人生を生ききった姿に、Aさんに関わった看護師として清々しさのようなものを感じたことを今でも覚えています。

■「看護師なんていらねーよ」その言葉の真意は

Aさんは80代男性。離島で生まれ、大人になってから都会に出てきて、職を転々としながらも最期は肉体労働の職に落ち着いたそうです。

汗を流しながら働き、周囲に感謝される仕事にやりがいを持っていましたが、1年ほど前に癌になりました。既に転移があり手術はできず、入退院を繰り返しながら抗がん剤などで癌の進行を抑える治療をしていました。

妻とは若い頃に離婚し、子どもとは長い間音信不通。古い風呂なしアパートにひとり暮らし、病気になって職を失い、生活保護を受けていました。気だるさもあり、食欲はなく、焦燥感から1日の大半を自宅のベッドの上で過ごしているような生活を送る日々が続きます。

私たち看護師との出会いは亡くなる3カ月ほど前、首のリンパ節に転移した癌が拡大し、癌が皮膚に露出する自壊創ができて、処置が必要になりました。そこからほぼ毎日、私たちはAさんのご自宅に通い、傷の処置をしていました。

「看護師なんていらねーよ。傷も自分で包帯変えるから」

Aさんの最初の言葉です。その真意は後にわかるのですが、「ひとり暮らしは危ないから」「傷の状態も観察した方が良いから」といろいろな理由をつけて、看護師が訪問することに納得していただきました。そこから毎日Aさんの自宅に訪問し、最初は傷の処置をパパっと終えて退室します。

■「たくさんの人に迷惑をかけてるオレは情けない」

ただ、毎日ひとつ、病気とは関係のない質問をしました。

離島での生活とか、バブル時代のお話、奥さんや子どものことなど、Aさんは少しずつですが自分のことを話してくれるようになりました。いつの間にか、Aさんは「看護師さん、こんなことも知らないのかよ」とか「看護師さんは知らないと思うけど昔はさ……」というように、昔話やそのときに感じたことなどを話してくれるようになります。

あるとき、これまでの人生で出会った、Aさんが尊敬する人について聞きました。

「親父だね。本当に良く働く人だったんだよ。人さまのためにさ。よく『人に迷惑をかけるな』とか『感謝される大人になれ』とか言われたな。最期も親父らしく人に迷惑をかけず自宅でポックリ逝ったよ」

「それに比べてオレは、働けなくなって。生活保護になって社会に迷惑をかけてる。こうやって看護師さんやヘルパーさんにもね。たくさんの人に迷惑をかけてる。情けないよな」

Aさんは独り言のように呟きました。

「今のオレを親父は何て言うんだろうな」

■最期まで人の役に立とうとしたAさん

そのとき、Aさんの「看護師なんていらない」が、「迷惑をかけるから、看護師なんていらない」という意味だったのだと気づきました。

「これまでたくさんお話を聞かせてもらいましたが、Aさんはこれまでの人生でたくさんの人のためを思って働き、感謝されてきたじゃないですか。それはこれからも変わらないと思います。身体のことは人に任せることも増えるとは思いますが、できることも変わらずたくさんあると思いますよ」

この日からAさんの意識や考えが少しずつ変わっていきました。

「死んだあとに、看護師さんに迷惑かけられないから、ちゃんとキレイにしとかなきゃな!」と言って銭湯に通うようになりました。

「知ってる? 死んだら身体を医学生の勉強に使ってもらえる制度があるんだって」と言って、自身の遺体をかかりつけの大学病院に献体として利用する登録をしていました。

あとで知ったのですが、友人や親戚、連絡をとっていなかった方々にも、これまでの感謝のメールを送っていたそうです。

その感謝のメールは、私たちの分までしっかりと用意されていました。私へのメールには、これまでの感謝とあわせて、「あなたはひとりでなんでもしたがるからもっと周りに頼るように。あと早く家庭を持ちなさい」と綴られていました。

最後まで、自分自身が最期まで誰かの役に立てるように、「自律」していられるようにAさんは行動していたのだと思います。

あるとき、Aさんと一緒に自宅前のお総菜屋さんに買い物に行ったとき。お店の人に「いつも、ありがとね」と言われたAさんは、「こっちの方がお礼を言わないといけないのにな。でもなんかうれしいよな」と話していました。

Aさんが自分らしく生きていく様子やその変化に感動し、いつのまにか私も帰り際には毎回、「Aさん、今日もありがとうございました」と感謝を伝えるようになっていました。

身体は老いていくため周りに頼ることもありましたが、最後まで人を思いやり、人のために働き、Aさんは旅立ちました。

■看護をしながら、自分の人生や生そのものを考えさせられた

「良い人生ってなんだろう」

私はそのことを知りたくて、看取りに携わる職を志し、現在、利用者さんの自宅に出向いてケアをする訪問看護師になりました。

たくさんの人生の最期をご一緒する仕事は、自分の人生を良いものにするいろいろなエッセンスに触れられるのではないかと考えたからです。

以前、尊敬する先輩看護師に、「看取りに携わる看護師として、良い看護師とはどういう人か?」と尋ねたときに、「患者が自身で人生を振り返る。自身の人生に気づきを得る。その助けとなる良い問いができる人」と答えていただいたことがあります。

Aさんにとって、私との関わりがこれまでの人生を振り返ることや、人生の意味を問うきっかけになっていたらうれしいです。

ただ、私もAさんの姿を通して、自分自身の人生はどうあるべきか問われていたような気がしています。Aさんとの時間は私にとって心地いい時間でした。

「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している」

村上春樹さんの『ノルウェイの森』の一節です。私の好きな言葉です。より良い選択を重ねていくことで良い人生になるのではなく、連続する生の中で人生や生そのものを考えること、死に直面した際に、それらを振り返ることがより良い人生につながるのではないでしょうか。

身体や心が病んでいるときに、自分自身を振り返ることは難しいため、その支えになることが私たち看護師の仕事だと今は思っています。

皆さんにとっての「良い人生」とはどんな人生でしょうか?

Text/落合実
WyL株式会社取締役/緩和ケア認定看護師
終末期看護を志し、有床診療所、大学病院、訪問看護と一貫して終末期看護に従事し現職。
現在は東京、沖縄、岩手などにあるウィル訪問看護ステーションにて小児~終末期まで「全ての人に家に帰る選択肢を」をテーマに24時間365日の訪問看護を提供している。

画像/Shutterstock

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