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「結婚式は挙げません」も悪くない【偏屈女のやっかいな日々】

「ふつうはこうするよね」なんて言葉をつい口にしてしまうことがある。けれど、自分にとっての“ふつう”が、他の誰かにとっても“ふつう”なのだろうか? 「結婚をするなら、当然、結婚式も挙げる」という周囲からの押し付けに、疑問を感じているのは作家・生湯葉シホさん。「結婚式は挙げない」――彼女がそう考える理由とは。

「結婚式は挙げません」も悪くない【偏屈女のやっかいな日々】


昔から苦手なもののひとつに、結婚式がある。


新郎新婦のことをほとんど知らない職場の上司が「主賓」を任されて得意げに挨拶しているさまとか、ファーストバイトの「一生食べるものに困らせない」「一生おいしいごはんを作る」という時代錯誤感のある意味合いとか、そういったものがどうしても肌に合わない。

日本で「結婚式」と聞くと、いわゆる結婚披露宴やパーティーをイメージする人が全体の77.6%(※マイナビウェディング調べ)らしく、実際に、挙式をした周りの友人知人たちはほぼ100%、披露宴も同時に行っている。

だから、厳密には私が苦手なのは「披露宴」なのだけど、ここではちょっと乱暴だとは思いつつ、まとめて「結婚式」と呼ぶことを許してほしい。

■人の人生を、5分のムービーに編集しないでくれ

結婚式に対して違和感を覚え始めたのは、生まれて初めて親戚の結婚式兼披露宴に呼ばれた高校生のときのことだった。

その式で、新郎新婦の生い立ちを5分ほどの映像にまとめた、いわゆるプロフィールムービーを見せられた。

「21歳、大学のサークルで出会ったふたり……2カ月後に交際スタート」という字幕とともにふたりのディズニーデートの写真が大写しになったとき、ゲストの何人かが「フゥ~」と声を上げた。

「フゥ~」が次第に連鎖していき、示し合わせたようにムービーのBGMのボリュームも上がる。「こんな私たちですが、これからも末永くよろしくお願いします」という締めの言葉がスクリーンに映し出されると、会場は大きな拍手で包まれた。

横から母親に「拍手しなさい」という顔をされ、慌てて自分も手を叩いたが、内心、新郎新婦はどうしてこれでOKを出したんだ、という気持ちでいっぱいだった。

自分と好きな人が誓いを立てる大切な日に、「高校時代は吹奏楽部でクラリネットに熱中! すごく大変だったけど頑張りました」みたいな浅いプロフィールを大勢の他人と共有するなんて、嫌すぎる。

ムービーを作ったのが新郎新婦本人ではないことはわかっているけど、人の人生を5分に編集するみたいな野暮なことしないでくれよ、と思った。

あまつさえ「フゥ~」とか言われて、なんだよフゥ~ってふざけんなよ、と怒りに震えたが、母親にそれを話しても「あんたはひねくれてるね。素直にお祝いしなさい」とたしなめられるだけだった。

それから人の結婚式には何度か出席したけれど、やはり繰り返される「こんな私たちですが……」と、新郎新婦と全然親しくなさそうなえらい人の挨拶やらファーストバイトやらに耐えられなくなってしまって、私はいつしか結婚式に行くのをやめた。

素直に新郎新婦を祝福し、祝祭的なムードに浸れないゲストなんて、出席するほうが失礼だと思ったからだ。大切な友人は何人かいるが、彼ら彼女らにも、申し訳ないけれど結婚する際、私は式には呼ばないでほしいと伝えている。



……ここまで読んだ方にはおわかりいただけるかと思うのだが、この文章は結婚式がどうしても苦手な自分と、「結婚式は挙げるもの」という常識めいたものを疑っている、あるいは「もしかしたら挙げなくてもいいのでは」と感じつつある人に向けて書いている。

もし、最近結婚式を挙げた方(おめでとうございます)とか結婚式の空気が大好きな方がいたら、最後まで読むことはおすすめしない。

■最大公約数の表現にしないと伝わらない

結婚式を挙げた人たちに理由を尋ねると、大きく分けて3つの答えが返ってくる。

「一生に一度くらい、大勢の人に祝ってほしいから」

「親孝行したかったから」

「なんだかんだ言って挙げるのがふつうだから」


ひとつ目の答えの人には、そもそも小さいころからドレスでバージンロードを歩いたり、新郎新婦でケーキを食べさせ合ったりすることに憧れがあった、という人が多い。

一度、挙式の予定がある仲のいい友人に「自分とパートナーとの馴れ初めを、5分に編集して人に見られるの嫌じゃない?」と聞いたことがある。

私の失礼な質問に対する彼女の答えはこうだった。

「全然嫌じゃないし、自分のことを知らない人も式に呼んでるわけだから、最大公約数の表現にしないと伝わらないじゃん」。

その言葉を聞いたとき、彼女はなんて大人なんだ、と感心してしまった。

私はそこで初めて、プロフィールムービーという結婚式の演出が“最大公約数”であることを自覚していて、それでもなお、一生に一度なら大勢に見てほしいと思う人もいるということに気づいた。すごく悪い言い方すると、彼女は「ああいう演出ってちょっと茶番だけど、そういうのもまあアリじゃん」と納得しているのだ。

結婚式をそんな風に捉えている彼女に私が水を差すのはまったくのナンセンスだから、「いい式になるといいね」と声をかけた。本心だったし、彼女も「シホは来たがらないと思うけど、今度写真見せるね」と笑って答えてくれたので、とても嬉しかった。

■結婚式しなくても、結婚した実感は湧く

式を挙げる理由に話を戻すと、ふたつ目の「親孝行したい」というのは純粋に素敵だと思う。個人的に気になるのが、最後の「挙げるのがふつうだから」という理由だ。

私自身、今年の3月に結婚したのだが、大勢が集まる場で「式を挙げる予定はない」という話をすると、ほぼ確実に「どうして?」と聞かれてきた。

結婚式が苦手で、パートナーはもちろん、私の両親もパートナーのご両親も納得してくれているので……と説明しているのに、「絶対に挙げたほうがいいよ!」とか「本当はお父さんお母さんも式を見たがってるはずだよ」と言ってくる人が何人かいた。

いや、あなたが式を挙げてよかったのはあなただけの問題じゃないですか、そもそもなんでうちの親の気持ちを代弁してくるんですか、と、言われるたびに思った。

なかには、「結婚式をしないと“結婚した”っていう実感が湧かないよ。挙式しなかった人のほうが離婚率が高いっていうデータもあるし」……なんておっしゃる方もいた。

けれど、改めて言いたい。結婚式しなくても、結婚した実感はある。超ある。

宅急便の伝票に苗字を書き間違えたり、家事の分担をめぐって夫と喧嘩したりしながら、少しずつ、私はいま全力で「結婚」の実感を得ている。

だから、式を挙げないと結婚した実感が湧かないなんていうのは、まったくの嘘だと力強く言える。

■自分と好きな人との大切な日に、他人に居合わせてほしくない

ここまで好き勝手に書いたけれど、最近は“挙式だけ”(披露宴なし)を選ぶカップルも少しずつ増えてきていると聞くし、すべての演出を自分たちで手がけるような、オリジナルな披露宴を作り上げる人たちもいる。

だから結局、私の結婚式ぎらいだって感情論に過ぎない。もし一度でも素敵な結婚式に出席したら、「式最高じゃん!」とコロッと手のひらを返すかもしれない。

私の場合、式を挙げなかったいちばんの理由は、「自分と好きな人との大切な日に、一切の他人に居合わせてほしくない」という思いが強かったからだ。

幼いころのエピソードをゲストに披露したくないし、指輪を交換するところも、ましてや誓いのキスをするところも人に見てほしくない。

深夜、婚姻届を町田市役所に出してからタクシーを探し回って歩いた10分が私にとっての“結婚”だったし、その瞬間は絶対に、誰にもシェアされたくなかった。


「結婚するとか、しないとか、それよりもただ、愛してる。」

というのがゼクシィの新しいキャッチコピーだという。

ちょっとロマンティックすぎるし、いやゼクシィは結婚する人のための雑誌じゃんと茶々を入れたくもなるのだけれど、私はけっこうこのコピーが好きだ。


結婚するとかしないとか、式を挙げるとか挙げないとか、そんなの全部自分の自由。


だからこそ「挙げない」もアリだよ、と胸を張って言いたい。

illust/兎村彩野(@to2kaku

生湯葉 シホ

1992年生まれ、ライター。室内が好き。共著に『でも、ふりかえれば甘ったるく』(PAPER PAPER)。

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